「立川からはじめる未来」 14: 展覧会は足し算ではなく、引き算で。
何ヶ月かぶりで13を投稿します。あれこれ忙しなく、好評だった「アーノルド・ローベル展」でのこと、「酒井駒子展」の制作、「ぐりとぐら」をめぐるあれこれ、武蔵美とのプロジェクトの行方、根付いてきたPARKの取り組みなどなど、たくさんのプロセスを書き損なってしまいました。情報には鮮度がある。いいものを作っても、伝えてはじめて意味がある。反省しながら今の問題意識のひとつを書きとめておきたいと思います。
「展覧会は引き算で」。
展覧会の中心は作品で、そこに解説や資料、映像、音楽、そのほか造作や装飾が加わります。特に絵本やコミックなど、ファインアートでない展示の場合、作品数を増やしたり演出を膨らましたり、ついつい「てんこ盛り」に向かいがちです。けれども、作品や解説は多ければいい、というわけではないのです。
展覧会は、時間軸やフレームが定まった本や映像とは違います。歩きながら目線や身体の姿勢が変化し、主体的に入り込み、しかも一度限りの体験です。気持ちや体調にも左右される。「何を見てほしいか」「体験してほしいか」。健やかに楽しむことができる時間はせいぜい60分程度。その条件下で、伝えたい内容や演出を編集し、伝える順番やレイヤーを整理し、情報を削ぎ落としていくことが重要なのだと、日々感じています。
アーノルド・ローベル展は「引き算」の連続でした。SNSで驚くほど好意的な書き込みがみられましたが、特に言及が多かったのが、加藤久仁生さんのアニメーション「一日一年」と、担当編集者がコメントを書き込んだ「がまくんとかえるくん」の草稿の展示でした。この編集者のコメントは、物語やキャラクターの表現についてのフィードバックであるだけでなく、「いいね!」といった励ましもあるなど、名作「がまくんとかえるくん」ができあがる舞台裏を垣間見る楽しみがありました。この展示の引き算が、難しかった。
当初案は、編集者のコメントすべてを翻訳し、訳を草稿の書き込みのそばにレイアウトする、というもの。余白を大きくとったダンボールのケースに作品を収めれば、日本語訳はいくらでも記載できます。ところが何に対してコメントされたのかを知るためには、本文のテキスト自体がわからないとその意味もわからない。また、コメントを受けてローベルが何をどう変更したのか、あるいは無視をしたのか、それがわかったほうが面白いはず。
そこで、草稿の本文を全訳し、さらには絵本の完成版も展示したらいいという「てんこもり案」が出ました。ところが草稿は全部で20点以上。来場者はそこまでの情報を消化できるのかは疑問です。
貴重なものだから、と翻訳も済み準備は整っていましたが、レイアウトの直前に方向転換しました。まず、草稿がどの段階のものか(初期のものか完成に近いものか)を示す。そのうえで編集者のコメントと、ローベルがそれを受けてどう変更したか・しなかったかのやりとりを解説する。原則、草稿ごとに1つのトピックスに限定して紹介することで、消化不良を避け、関心の間口を広げる。深く読み込みたい人は、じっくり見ればいいのだから。
学芸員、編集者、グラフィックデザイナーで検証を重ね、原稿を直し、最終的にばっさりと削ぎ落としました。せっかく用意した翻訳や原稿を使わないのはもったいないし、勇気のいることでした。けれどもその結果が多くの反響に結びついたのではないかと感じています。
展覧会は、空間の中で、五感に訴えることができるだけに、表現や伝達方法は、途方もなく奥が深い。4月10日からの「みみをすます 酒井駒子」展は、「絵とことばの響き合い」がテーマ。同じ日に始まる「ぐりとぐら しあわせの本」展は、子どもには冒険、大人には発見を、がキャッチフレーズです。2年目の PLAY! MUSEUMの「引き算」に、ご期待ください。